玉川上水を世界遺産に 
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時代背景

 
時代背景-1 江戸の町民文化

江戸時代の直前は戦国時代で、飛躍的に発達したのは戦争に伴う技術と安土桃山文化という特権階級の間で栄えた文化でした。江戸時代になってこれらと一味違った明らかに近代への先駆けと言える文化が花開きます。
1867年パリの万国博に幕府は日本の物産として陶磁器、漆器を多く出品しました。その時注目を集めたのは、皮肉にも反故としてそれらの包装に使われていた浮世絵でした。これは芸術の世界の一つのエピソードのようですが、実は江戸時代の真価を象徴している事柄だったのです。ところが、明治政府は近代化の成果を強調するあまり、江戸時代を「遅れた、野蛮な」と否定しました。これは今日では見直されるべき事柄でしょう。
浮世絵繁栄の一つの要素は、歌舞伎の流行です。これも徳川期に入ってから、度々「風俗を乱す」と取締りを受けながら、試行錯誤を繰り返し、元禄年間(1688〜1703)には一つの完成期を迎え、その後も天明、文化文政と江戸時代を立ち止まることなく、戯作、役者、舞台、が絶えず観客を注視しながら改良に改良を加え、約400年を生きてきました。浮世絵はそのブロマイドとしての役割が大きかったのです。
もう一つの要素は旅行ブームです。富士講、伊勢講などツアー旅行が定着してきましたし、その周辺産業である、飛脚、為替、等のシステムも出来ていました。これは信用の定着化が庶民レベルにまで達したこと、それを基盤にした商業活動がますます活発になった事と無縁ではありません。、まだ見ぬ土地に夢を馳せさせるのが旅行パンフレット、これが浮世絵のもう一本の柱でした。

江戸の人口は、1611年に前ルソン総督ドン・ロドリゴ・ベビーロの見聞録によると15万人とありますが、1695年には約90万人という説もあります。以降文化・文政まで(1829)同時期のパリ・ロンドンの人口を抜いて、江戸は世界一の人口を擁する大都会でした。
「1850年の時点で住む場所を選らばなければならないなら、私が裕福であるならばイギリスに、労働者階級であるならば日本に住みたいと思う」と、その著「江戸時代の遺産」で述べたワシントン大学スーザン・ハンレー教授の言は傾聴に値します。そこには、封建時代でありながら、江戸と言う大都会の庶民が、衛生的で、文化的で且つ安全な生活が出来る、近世へ繋がる国家がつくられていたことの意義は大きいわけです。そしてそれを350年に亘って支え抜いたのが玉川上水であったことは言うまでもありません。

 

 
時代背景 -2- 工事の体勢

玉川上水と言いますのは,江戸の町を将軍のお膝元としての機能を整えるため、各地の大名に命じて埋め立て等の大土木工事を行なわせました。その結果、全国から大勢の人足が集まり、人口が急増して、これまでの上水では飲料水の不足が必至となったため、新しく大量の水を供給できる多摩川の水を引くことになりました。
 そして多摩川の中流、現在の羽村市から取水し四谷大木戸まで延々43キロを掘削し、江戸の住民の飲料水を
350年に亘って賄い続けました。 いうなれば、武蔵野の一角の小さな江戸を、安全で衛生的な,そして文化的な大江戸、東京、大東京へと発展させる事が出来たのは、この大水脈を得たからにほかありません。


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1590年,家康が家臣達の反対を押し切って江戸入りした頃は、北条氏の支城の城下町とは名ばかりで漁村に近い町でした。家康の命を受け、大久保藤五郎が後の神田上水を完成させたのが江戸上水の最初です。その後、1600年の関が原を経て1603年江戸開府となりますが、江戸のインフラ整備のため人口が増える、そのためにインフラがいるという循環に対応するため、上水の整備が急がれました。
 1652年、幕府は上水拡張計画を立て、町奉行神尾備前守は(後の)玉川兄弟に調査を命じ、計画を絵図面に仕上げて評定所に提出しました。それに基づいて幕府は松平伊豆守を総奉行に伊奈半十郎を玉川上水奉行に命じて組織立てをし、現場には庄右衛門,清右衛門兄弟を配しました。予算か請負額か分かりませんが6000両が幕府から渡されたとあります。

  当初庄右衛門兄弟の設計では、@の場所からの引水で失敗し、次にAの場所の引水にも失敗しました。そのため、松平伊豆守が配下の安松金右衛門に案を出させ、現在の地を選定して成功したようです。
 このように現在の目で、全体を見れば理解しやすいのですが、江戸の山の手に水を通すには、どうしても武蔵野段丘を、掘り進まなければなりません。これには色んな問題があっただろうと推測されます。
 玉川上水に関して、、工事方法、測量方法など具体的な資料が残っていないのです。それらについて、傍証を固めながらでも研究を進めたいと思います。

 

参考文献: 多摩川誌、 首都圏強震動net、 段丘崖と湧水マップ、 街道古道廃道道

   

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