時代背景 -2-
工事の体勢
玉川上水と言いますのは,江戸の町を将軍のお膝元としての機能を整えるため、各地の大名に命じて埋め立て等の大土木工事を行なわせました。その結果、全国から大勢の人足が集まり、人口が急増して、これまでの上水では飲料水の不足が必至となったため、新しく大量の水を供給できる多摩川の水を引くことになりました。
そして多摩川の中流、現在の羽村市から取水し四谷大木戸まで延々43キロを掘削し、江戸の住民の飲料水を
350年に亘って賄い続けました。 いうなれば、武蔵野の一角の小さな江戸を、安全で衛生的な,そして文化的な大江戸、東京、大東京へと発展させる事が出来たのは、この大水脈を得たからにほかありません。 |