玉川上水を世界遺産に 
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団体の紹介

 
 役 員
団体名

玉川上水を世界遺産に

会長 小平ユネスコ協会
 会長: 野崎 耕一
 小平市上水新町1-3-29
 042-341-3073(野崎)
責任者 鈴木利博
URL&mail

http://ngo-npo.net/tamagawaj/
tamagawaj7@ngo-npo.net

   

 

 ご 挨 拶  

ご 挨 拶
◆玉川上水を世界遺産に!の私達のホームページへお立ち寄り頂きまして有難うございます。是非ご覧頂き、ご理解ご協力と共に、何なりとご意見を頂戴致したいと存じます。
◆ご存知のように、1600年が関が原の戦い、それから3年後の1603年が江戸の開府、玉川上水開通が1653年です。今年は2003年ですから、江戸開府400年、玉川上水開通350年と非常にわかりやすいのです。武蔵の国の小都市であった江戸が大江戸に変貌する胎動が始まります。
◆あちこちの台地を切り崩し、埋め立てて、目黒で秋刀魚が取れなくなり、駿河台もそれ程高くなくなり、日比谷も谷でなくなりました。現在、東京を貫通する中央線の四谷トンネルが、唯一起伏あるお江戸の名残りでしょうか。
◆江戸時代は勿論封建時代ですが、その中で人々は逞しく庶民文化と言われる従来にない文化を開花させます。その裏には衛生状態の行き届いた比較的自由な社会があり、恐らく質量ともに世界一の大都市が形成されたのです。
◆急増する人口に、初期に手掛けた神田上水では足りなくなったため、本格的な水道が必要になり、1653年、ついに羽村の取水口から四谷まで43`、ほぼマラソンと同じ距離の玉川上水が、幾多の困難を克服して完成しました。明治の近代上水を経て現在でも、その一部は大東京の飲料水を支え続けているのです。
◆蛇足ですが、忍者の里伊賀上野に宗房という男が居り、お江戸に出てきました。 この男、中々のアイディアマンで神田上水の工事現場に就職したらしいのですが、痩男(優男?)故か、やがて退職してしまいました。
三十路の頃の松尾桃青(後の芭蕉翁)の姿です。

   

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