謎には推理で -1- 学んだ教訓
ここでは大胆に推理をして見ましょう。
先ず、下の地図をご覧下さい。これは水の流れに必要な標高と、国分寺、立川両崖線及び武蔵野、立川両段丘、その上にある河川、それと玉川上水とを記入しました。これは玉川上水が何故このコースを選び、何故コースを変えたのか(曲がったのか)、その意図を読み取りたかったからです。そうすることによって、彼らの工事思想、今流に言えば「アルゴリズム」が読み取れるはずだと考えました。
先ず、羽村の取水堰が地図の左上に、目的地の四谷大木戸は右中央にあります。この段丘(台地)には、何本かの川がありますが、その川筋から、北の川は北東へ、南の川は南東へ流れている事を読み取ってください。やはり,多摩川が作った扇状地なのでしょう。
次にもう一つの特徴、武蔵野段丘について説明します。川の流れはその下に伏流水を含んでいます。上下両方の川の流れが土砂を流し去って、川床は地盤沈下を起こし、残ったところが段丘、そこに出来た崖を崖線と言います。このあたりには武蔵野段丘と立川段丘と2段になっています。
さて、ここで彼等の失敗例を見て見ましょう。
先ず失敗①の地点、国立の青柳から水を取り入れようとする計画です。、ここからは、どう頑張っても水が流れるとは思えません。これは明らかに武蔵野段丘、立川段丘についての認識がなかったことを意味します。
次に失敗②ですが、これも「水が流れなかった故」という事になっていますが、ここでは明確に武蔵野段丘を認識して、それを掘り進もうと狙い、その方法論上での失敗の可能性が強いと思われます。当然、試行錯誤は必要ですから、この件についてあまり失敗を強調するのは間違いだと思います。
次に失敗③です。これは現在「水喰らい土公園」として残っていますが、水がどんどん地中へ吸い込まれていったのでこの名前がつきました。これは明らかに関東ローム層を突き破ってしまったからに他ありません。 例えば砂利層が凸になっていて、その上に均等な厚さで火山灰(関東ローム層)が堆積していたと仮定しますと、小高い丘を,ある深さで構わず掘り進むと、場合によっては、下から盛り上がってきている砂利層に(ぶち)当たってしまうことになります。つまり、「下手に丘を掘り進むな」という教訓です。
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